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市民の小さな一歩が街に大きな熱狂を生み出した 自主企画イベント「ひばリンピック(リレーマラソン)」の奇跡とは

2021.02.25

2020年世界中を震撼させ、毎日の暮らしが一変してしまったコロナ禍。
外出や多くのイベントが中止となりました。
ひばりが丘団地エリアに住んでいる住民たちで構成されているマラソンチームが毎年参加している「西東京市リレーマラソン」ももれなく中止となってしまったのが2020年9月。
しかし、住民たちの心の底に眠った「何かをしたい」という思いが周りの人たちに伝播し、自主企画イベント「ひばリンピック(リレーマラソン)」を開催する一途を辿るまでになりました。
最終的には中止となったものの、まちにわひばりが丘ではなく、住民主体で0からの企画、大きな繋がりもない中で80人の参加者、運営サポート者を合わせると100人以上の方が集まったその熱狂のストーリーについて、企画・運営に関わった住民メンバーおふたりに迫ります。

 

<インタビュイー プロフィール>

照屋さん:子どもが生まれた後、2012年からひばりが丘パークヒルズに居住。その後、2016年ひばりが丘フィールズけやき通りに入居。妻、2人の子どもの4人家族。

飯さん:2018年にプレミストひばりが丘へ入居。ひばりが丘団地再開発の記事を見て気になり、郊外に住みたいという想いもあったことから転居した。街のコミュニティを大切にする、つながりを大切にすることに共感を持っている。妻、2人の子どもの4人家族。

<インタビューアー>
まちにわ師:永見薫

何気なく今までは活動していた、マラソンチーム。コロナ禍でイベント中止となり燻る想い

編集:今まではどういうメンバーでリレーマラソンに参加していたのですか?

飯さん(以下敬称略):毎年西東京市の主催するリレーマラソンに、まちにわひばりが丘で繋がったメンバー4チームで出場していました。

照屋さん(以下敬称略):マラソンチームの始まりはマンションのウエルカムパーティでした。ここで仲良くなった人に少しずつ声をかけて、みんなで何かスポーツをやってみたいねとなり。じゃあリレーマラソン参加しましょうよと。毎年毎年それを積み重ねて、じゃあ人数増やしてみようか?じゃあチーム増やしてみようか?とチームが増え、大きくなったんです。


西東京市リレーマラソンのひとコマ


西東京市リレーマラソンのいちグループ

 

編集:それが今年は中止になってしまったんですよね。

飯:私は2020年の4月から西東京市スポーツ推進委員になったのですが、委員定例でも今年はあらゆるイベントの中止が決定していたし、毎月どうするかという話は浮き沈みしていました。リレーマラソンもできなくなるんだろうなと毎月毎月刻一刻と感じていました。
2020年9月にリレーマラソン中止が決定し、「あ、これでできることを自分たちで作り上げないと何もできなくなっちゃう。ずっとそんな世の中になってしまいそう」と思ったんです。

編集:先の見えない世の中への不安や焦燥感から思いが湧き上がったんですね。

飯:自分は、推進委員という立場もあるしそれを利用しながら、小さくても手作りでもいい、何かやってみないと、と思い1通のメッセージをリレーマラソンメンバーのグループLINEに送ってみたんです。

照屋: 飯さんが投げかけてくれたものの、しばらくは特に何か進むわけではなく。でも少し時間が経ってから私も「やっぱりやりたいな」という思いがむくむと湧いてきたんです。飯さんみたいなこういう思いを持っている人もいるんだから、きっと声をかけたら協力できる人が出てくるんじゃないかなって。

飯:私のメールに照屋さんが呼応してくれたなと感じました。

編集:そこから奇跡のストーリーが始まったのですね。

 

情熱を持って動き始めたら、周りも熱狂してくれたその奇跡

照屋:最初は何か運動会でも…いう話もあったんです。でも運動会となるとこういう状況でグランドを借りるのって難しいしな、やっぱり走ろうってなった。そもそも自分たちにとって走るのって原点だしね、と。

編集:どういう形で走ると決めたのですか?

照屋:コースは飯さんが構成を考えました。最初は公園のみでの開催を検討したけれど、(使用許可を取って)一部道路を通り、一般の歩道を走るというルートを考えたんです。

編集:そんなに本格的にやろうと思っていたのですね。

照屋:道路を走るなら許可を取らないとね、と道路許可申請について警察へ相談にも行きました。許可が下りるかのかもわからないけれど、まずは相談と思って行ったらとても親身になって相談に乗ってくれて。2回目の相談ですんなり申請が通ったんです。

編集:信じられない、驚きですよ。とても大変なことです。普通そんな簡単には許可されないですよ!

飯:この話を委員会でも逐一共有していたけれど、道路使用許可が取れたと報告した際には市もびっくりしていました、「よく取れたね」と。

照屋:自分ではそんなにすごいと思ってなかったけれど、後から聞いたら難易度が高いことを知って本当にびっくりしました。でも相談事は本当に親身になってくれ「ぜひ頑張ってください」と後押しをしてくれた。みんなこんな世の中で沈んだ状況なので、求めている気持ちは一緒なのかなと感じました。

編集:大きなイベントはできない、みんなウイルスにかかってしまったらどうしよう、自粛していないとなと思いますよね。でもやっぱり本当は…という心の底にある想いがあるから共感や応援になったのでしょうね。

飯:スポーツ推進委員の定例会でもこの企画は報告をしていて、「こういったコロナ禍の状況で手探りだけど、もし興味があったらお手伝いしてほしい」と話すと、それに呼応して「私も手伝うよ」「協力するよ」と。体操トレーナーさんの準備運動サポートや、医療従事者が当日医療関係者のボランティアとしてサポートする、など。様々な声やサポートの申し出に溢れていったんです。

編集:驚いたのは、あのシチズンさん(※)からも共感と応援の声を頂いたと聞きました。

飯:私たちの想いに反応してもらえたんです。今回は結果的にイベントが実施とならなかったのですが、上層部の方々にもこの想いを届けてもらえることができて。ダメで元々と思いながらも聞いてみようと思ったのに「今後日程が合えばサポート機器などの提供もできるので一緒にぜひやりましょう」と言ってもらえたことは感慨深いです。

編集:飯さんの小さくも熱き想いがご自分の思惑を飛び超えて、大きく繋がり広がった瞬間ですね。


ひばりンピック参加者は自主練習を行い本番に向けた準備を行った

 

イベントは延期へ。次回へつながる

編集:市のリレーマラソン中止が決定したのは9月、本格的にやっぱりやりたいと動き出したのは10月だったそうですね。

照屋:一番最初に道路使用許可が取れたのはとても大きくて、「まず物理的に確保した」その事実があったから加速して動き始めたと思います。

編集:希望の種があるとみんなの動きが加速していくんですね、本当に。

照屋:そうそう、本当にそのとおりです。これがみんな行動の種にもなっていたのだと思います。何かを指示したわけでもなく、自発的に動いて、毎週毎週何かしら新たな進化や進捗が生まれていた。それがとても楽しかったんですよね。

編集:まちにわという一つのエリアにみんな住んでいて、自治団体を活用する方法もあったと思いますが、それでも今回はなぜ自主的に皆さん動いたんですか。

照屋:住民主体の方がいろんな熱狂を生むと思ったし、まちにわには見守ることや何か協力できるときに協力していただくくらいの方がいいのかなと。後援がついていたわけでもないし、どこに縛られるわけでもなく自由にやれたことが色んな化学反応を生んだのかなと思います。

編集:最終的には延期を決定したとのこと。

照屋:2020年11月18日(水)の夜に小池都知事が会見して、翌19日(木)に延期を決定しました。それまでも毎週毎週、感染状況は逐一見ていた。延期にあたっては事前に開催見送りの基準を設定していたんですが、東京都が示している感染状況または医療提供体制のどちらかの総括コメントが最高レベルに達したら延期にしようとしていました。どうにかなるだろう何とか・・といろんな条件を見つけたつもりだったし、実は最高レベルに引き上がったとしても行政の条件的にはイベントは実施ができたんです。

編集:それでも延期にしたのはなぜですか。

照屋:住民の理解がなく「こんな時期にこんなことをやっても・・」というトーンが生まれると、2回目以降リレーマラソンを実施することになるときに、良いものではなくなってしまう。そう思っての決断でした。

編集:条件の面ではできるけれど、気持ちの面が大切、気持ちの面が優った、ということですね。

照屋:住民の理解を得ながら、イベントを成功させるというところに「1番の目的」を掲げたから。もし続行したとしても1番の目的を達成できない、それは違う。今回は納得の上で手を引きました。

編集:苦渋の決断だったと思いますが、これで終わりではないですものね。

照屋:実はこのリレーマラソン以外にも前々からもっと色々やりたいという思いがあったんです。イベント名を「ひばリンピック」と名付づけて、活動をしましたが、今回はたまたまリレーマラソンだったけれど、今後は綱引き、リレー、サッカー、野球、運動会だのそういうもっと様々なイベントに広げて行けたらと思っています。

飯:まちにわエリアのイベントとしてもですが、西東京市としても今後どういう形でイベントを再開したり、実施したりすればいいのかということを模索しているんです。そんなタイミングで今回のリレーマラソンを提案できたことは、コロナ禍でのイベントのあり方について一つのモデルを提示できたのではと思っています。

照屋:モデルができたことで、次にイベントを実施するということが決められればスムーズに進められると思うし、コロナ禍の状況を見ながらイベントの規模感を見極めつつ、まずは第一歩の実績を作り上げていきたいですね。


ひばりンピック運営メンバーはオンラインで頻繁に会議を行った

小さくステップを踏み、積み重ねる。まずは一歩スタートすること

編集:小さな一つの住民団体から、市民の皆さんへ良い影響を波及できたことは実績であり、大きな気づきでもありますね。

照屋:まずはスモールスタートをしたくて、今回はその足がかりになれて良かったです。毎年何となく構想はあって盛り上がるけれど、コロナ禍をきっかけに一歩進めたのは、逆境を逆手にとった結果だったのかもしれません。

飯: このエリアに住んでいて思うのは、「何かをやりたい」ということにウエルカムな人が多いんだなと感じます。だからこうして声をかけてもすぐ集まる。同じ思いを持っている人がこんなにもいると知れたし、ここに住んで良かったなと思えました。
今後はもっと子どもたちの参加を募りたいです。今回はできなかったけれど、もっと街のみんなが参加できるイベントとして広い世代に関わって欲しい。色んなところに声かけして、理解者を増やしていきたいですね。

照屋:だんだんと賛同者が増えてく中で、まだこのような住民主体のイベントに参加したことがない方でも気軽に輪に入りやすい環境をどうやって作っていくかを常に考えています。自分たちだけではなし得ないこともある。今回は途中から募集ポスターを貼ったり、告知したりとまちにわからサポートをしてもらいました。こういう形でまちにわにも協力してもらいながら、仲間が増え、さらに広がって行けたらいいなと思いますね。


誰もが様子を気にしながら、様々なことを諦めている毎日。けれど諦めない一人の小さな想いは色んな人の心に灯火を灯し、大きな熱意に変わることができた、そんな奇跡のようなストーリーでした。これからも感染症と上手に付き合いながら、日々暮らし方や楽しみ方も模索が続きますが、「これやってみたい」「行動してみたい」という気持ちを大切に、変化に合わせながら心地よいやり方を見つけていきたいですね。
そして、ひばリンピックはコロナ禍の状況が緩和した頃に開催する予定とのこと。住民の熱い魂が重なり合う想いのこもったイベントが今度こそ始まる瞬間をどうぞお楽しみに!

(※)西東京市内に本社を構える、シチズン時計株式会社のこと